南北戦争(1861~)の真っ只中。
1862年、太平洋鉄道法が制定され、連邦政府の財政支援のもとで大陸横断鉄道の建設が推進されました。
太平洋鉄道法によって、ユニオンパシフィック鉄道とセントラルパシフィック鉄道の2つの会社とが設立されました。
ユニオンパシフィック鉄道がオマハから西向きへ、
セントラルパシフィック鉄道がカリフォルニア州サクラメントから東向きへ、
1863年、線路敷設工事は2つの鉄道会社が大陸の東西から挟み打つ形で
大平原と大山脈と幾多の峡谷を乗り越えて、鉄道建設を進めていきました。
南北戦争中のことで鉄道で働く労働者は集まらず、工事は中断が続きました。
困り果てた会社は反対を押し切って、当時西海岸に大量に移住してきたサンフランシスコ中の3千人の中国人を集めました。
特に山を切り崩したり、トンネルを掘ったりする爆薬を扱う危険な作業は中国人の仕事となりました。数千人の中国人の生命と引き替えに、1869年の5月10日、東西から出発した2つの線路がユタ州ソルトレイク近郊のオグデンで連結しました。
大陸横断鉄道はそれまでの時間がかかり、危険な駅馬車の時代を終わらせました。
大陸横断鉄道の開通とホームステッド法の制定によって西部の開拓が一層すすみました。
この鉄道の開通により、大平原におけるインディアンの生活の場所がなくなり、野生動物バッファローの絶滅のきっかけにもなったのです。
1891「鉄道王 リーランド・スタンフォード」は広大な彼の農場にスタンフォード大学を設立。
戦後年大学の一角が工業団地として卒業生たちの事業に開放されましたが、それが今日のシリコンバレーです。