牛島謹爾 ポテトキング

George Shima

福岡県久留米市梅満町の農家出身の牛島謹爾。1888年渡米。ハウスボーイや日雇い農業労働などを経験し、1891年に3エーカーの農園を任されポテトの栽培を始めました。ここから牛島のサクセスストーリーが始まったのです。

大学入学に英語で失敗した事をきっかけに1888年に渡米し、ハウスボーイや日雇い農業労働をしながら1891年、カリフォルニア州ニュー・ホープの農家で3エーカー(12キロ平方メートル程)の農園を任され、ジャガイモの栽培を開始します。

カリフォルニア州・ストックトン市郊外には、ジャガイモの栽培に適した肥沃な土壌を持つ「カリフォルニア・デルタ」と呼ばれる広大な水脈地帯があります。そこに着目した牛島はその後、「カリフォルニア・デルタ」で10エーカーの農地を買い取り自身のジャガイモ農場を開きました。

牛島の高品質な商品は「シマ・ファンシー」と呼ばれ、消費者の支持を得て、1906年にはデルタ・ポテトの市場をほぼ独占していたというから驚きです。時には天候不順などの打撃を受け破産宣告をした事もありましたが、牛島の努力により彼の農場は拡大し続け、最終的には10万エーカー以上の農地を所有する程に。それらの土地の一つには、牛島の名前から「シマ・トラクト」という地名がつけられ、今でもその名前は残っています。

また、1908年に設立された在米日本人会の初代会長を務め、外国人土地法や排日移民法などの日本人に対する差別的法案と戦うことにも、牛島は多くの資金や時間を費やしました。その他にも「Empire Navigation Company」を設立。1926年に62歳で生涯を閉じた牛島には、天皇から勲四等旭日章が贈られる等の、農業以外での功績も残しているのです。

<< BACK            NEXT>>